2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2012.1.8

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2012.1.8

朝からLabo Gardenについての相談。既成概念での庭ではいけない。実験的な庭。食糧庫としての庭、デザインとしての庭、季節としての庭、時間軸としての庭、地球内生命体のための庭。


学生時代は、人はみんな違うんだからぼくは自分のやり方でぼくなりにやれば個性的になると思っていた。しかし実際は違って、ぼくらの脳はシステムやキャピタリストたちに遠隔操作されているので個性を形成していると思っているもの自体が実は既製されたもの(物質も精神も思想も)であり個性はまやかしの個性でしかない。おかしいなと気付いた頃には法律や規制によって縛りあげられている。すでにぼくらの体内に当たり前として刷り込まれた1+1=2だという理論。学校教育やマスメディアによるつくられた世界への導き。それらは自己の解放を邪魔する最大の敵である。もっともっといろんな視点から考え込まないと永遠にオリの中の猿状態が続く。だからこそそれらにいち早く気付き、自己を解放すべく立ち上がるのだ。
もっと動きながら仕事(真の意味での仕事)が出来る環境を作らなければいけない。同じとこに立ち続けるカーネルサンダースになろうとしているのではないんだ。それは違うとトーキョーで感じた。私は21世紀版カーネルサンダースなのです。
あいつがいるところにはどこであろうと音楽があるということが重要で、ライブバンドのように彼らが集まるところに音楽が鳴るのだ。サーカス団のように今日はこの街に彼らがきたからサーカスが行われるんだ。ぼくがいるところに芸術は存在する。その場所には、恐怖、憎しみ、哀しみ、喜びを同時に感じ、泣きながら笑う人間も存在するのだ。どこでも誰もが感じれる表現方法を作らなければいけない。モバイルツールをもっともっと持たなければいけない。と、エンドロールズのライブを観にいって思った。

よく勘違いされるので言っておくが、ぼくがやりたいのはエコでもオーガニックでもない。
人間の生命の維持・保護・成長である。その為に生活の是正をし発展させたいのだ。