2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2011.12.8

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2011.12.8

部屋の掃除は終わる気配がない。こんだけモノは必要なのか。
夕方から京都へ。大学の友人せいこちゃんとhohoemiのドーナツ屋、葦島コーヒーへ。hohoemi閉店なんですね、残念。東洋医学の話題は尽きることなく続く。非常におもしろい、なんて宗教チックなんでしょうか、家系に東洋思想が流れているんだろうな。その後、紫蔵へどうしても行きたくなり三田くんを呼び出し行ってみるも完売。結局、ロンドンちゃっぴが通っていた高安へ。高安も異常に奇妙な場所だなとラーメン食べながらふと思った。奇妙なヒトと奇妙な場所に出会えた一日。

坂口恭平が「脱原発は脱政府、脱原発は脱会社だ」と言っている。本当に、そうなんですよね。まさにぼくが8月頃悩んでいたことを影響力あるヒトが言ってくれた。でも、会社が悪いのではないと思うんですよ。じゃあどうすればいいのか、となると自分で動くしかないんですよね。主導権を個人に戻さなければならない。本当は、社会や政府や企業など世の中のものは個人から始まり、個人が生活しやすいように出来上がって来たものなのになぜ主導権が政府にあったり企業にあるのか。もっとみんな一人一人が個人に主導権を取り返さなきゃいけない。野菜作るのだって、エネルギー作るのだって、家建てるのだって、生活すべては個人のものなんだ。ぼくたちが企業を使わないといけない。それは出来ないかな。そうしなきゃこれからの社会では生きていけなくて、だから七尾旅人がDIY STARSを立ち上げたり、宇川直宏が個人から発信出来るテレビのようなメディアを作ったり、坂口恭平が新政府立ち上げたりというような流れがある。高城剛もそう。彼らは実際に時代性がちゃんとあるので非常におもしろい。その点、曽我部恵一は昔からわかっていたんです。ミヒャエル・エンデの言っていたこともソローの言っていたことも全部わかっていた。だからいち早く 自主レーベルも立ち上げた。そこがいいんだな。

文章がどんどん下手になってきた。1つのリズムが崩れると全てが狂う。起きる寝るなどの時間だとか洋服を着る、お風呂に入る、歯を磨くなどのリズムのある行為をきっちりこなせるとそれらの行為が手を取り合って踊りだすのだ。一つリズムを踏み外すとそれらみんながリズムを踏み外す。踊れない状況に陥る。それらが踊りだすと、そこに新しく入ってくる行為(文章を書く、製作をするなど)も非常に入りやすいのじゃないか。まず、twitterとテレビとネット見過ぎだな。いままでしなかったことをするとダメだな。あとは、料理しなきゃな。玄米炊くとか味噌汁作るとかいう行為がリズムを作るんだ。実家の環境をうまく使えていない。そう考えると、ルドルフ・シェーンハイマーの生命の動的平衡論はすべてのものに言えるのではないか。