2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2011.12.26

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2011.12.26

ひとみちゃんとアーモンドと実家の店で会う。人に会う場所、こういう場所に出来ればいいな。
寒すぎたので一眠りして、夜からtaitoのイベントQualiaに行く。metroも25時までの営業になるんだな。次はどこで遊ぶのか。音楽を鳴らしたらいけないらしいので、みんなで全身にチップ埋め込んでそのチップを入れることで無線で同じ音楽が聞こえそれで踊るだけっていうようなへんな状況が起きるのか。それってイベントの良さが全く残らないなあ。それにしてもかなり楽しかった!真面目な社会の話も、がっつり踊ることも、本気で音楽かけることも、本気で絵を書くことも、本気でドリンクいれることも、本気で料理提供することも、みんながそれを一つの場所に持ち込んで成立している。本気には本気で返す。徹底的に本気でやる。本気でやるとそれが非物質的な感覚部分で相乗効果を生む。それが仕事の在り方なんじゃないかな。
みんな大きな方向性は同じだ、やっぱり同じ時代に生きてる。夜中クラブで遊んでる人たちだって会社に就職しようとしている三木だって同じ。違うのは、視点と知識や注意力の違いだけなんだよなあ。でも、「よし、みんな同じ方向向いてるね」これをよしとせず、傍観してみる。じゃあ、ソーラーシステムの充実の後なにがなくなってどんな問題点が出てくるのか。循環型社会に向けて動き出したら何が必要になるのか、どんなおもしろい遊び方ができるようになるのか、ワクワクするなにかを生み出せるのか、そこをもっともっと考えた方がいいよなあ。モバイルフォンはそんな流れで出来上がったんじゃないでしょうか。セーブアースな社会の流れ、昨日話したみんなにはそういう流れがある気はした。じゃあ、また違う視点から変な言い方すると企業体に属し頑張っているみんなはどうい流れを見ていて、学生はどんな流れを見ているのか。コミュニティの違いは社会の違いを証明していて、じゃあ美芸のみんなは、大学の友人たちは、、、、同じ世代でもこんだけのコミュニティを見ることが出来る。コミュニティによって生活の時間帯が違うように形成している社会が違う。京都は四角だと思っている人もいれば三角や丸だと思っている人もいる。それが当たり前なのに社会は一つの価値観しかないと思い込ませる。当たり前で生活が安定すればいいな。
今日も頭がショートする。