2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2011.12.13

Translate

2011.12.13


鎌倉のdimanche高井さんが関西へ帰ってきていたのでcafeする。その後、近くに出来たコストコへ。本当にあんなの食べていいのか、添加物は山ほど入っているし着色もすごいし遺伝子組み換えは大丈夫なのかな?病気になってみなきゃわからないよなあ。まだ、カビなど自然に発生するもののほうがマシなんじゃないかとか考える。
その後、実家の店で懐かしの常連さん数人に会い話し込む。世の中にはすごいヒトいっぱいおるなあ。
ミシェルフーコーもメルロポンティもデカルトも読まずに無茶苦茶なデザインされるのもねぇという話に。なんとなくとかでデザインしないで、と。大学出て何か表現するのなら論文の一つや二つ書けないとねぇとも言われる。論文ってのはくるみの木のゆっこさんで言うところの「私は夢中で夢を見た」だとか、坂口恭平の「0円ハウス」だとか、そういうものでもいいし、かっちりした研究論文でもいい。それは、自分の思考を理解してもらうためのもの。
「本を読みなさい。もっともっと勉強しなさい、無知を知りなさい。しかし、無知を恐れず実践しぶっ飛びなさい」ということか。
アンディーウォーホールもジョンレノンも実はケルアックと交流があったらしい。やっぱりアメリカはすごいなあ。古き良きアメリカ。あれ?ケルアックは何からの影響なんだろうか。でも、ぼくはケルアックよりブローティガンが好きです。
相撲とか見てると思うけど師匠のところに入門して一人前になる。これが人間の建設には必要なのか。だから、師匠が見つからないヒトは大学に入るし、師匠が見つかったヒトはそのまま突き進む。師匠が大学にいたらなおよし。その師匠に認めてもらうことでやっと一人前になれる。ぼくは師匠がいないので体当たりするヒトがいない。なぎ倒してくれるヒトがいない。それではいけない。

結局、すべては意識の問題なんじゃないかな。CO2排出されて地球温暖化が進むか進まないかという事実よりも、進むと想定して行う行動に伴う感情というか気持ちというか意識の問題。コンビニのビニール袋もそう。多分、すべてそう。それが優しいということに繋がるのかもしれない。相手を考えること。そんなことよりも夕日がこんなに綺麗に見える広い場所っていいなあ。
ぼくは、乱文な文才は人より長けてるかも。