2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2026.7.9

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2026.7.9

 そういえば、書くのを忘れていたが、昨日オリヴィア・ワイルド監督『The Invite』を観た後に、同じ回を見ていた時々映画館で遭遇するぼくが苦手なブラジル人の男性とまた偶然に遭遇した。彼はたくさん話したわけではないのにいつも友達のように接してくれるので、ありがたいといえばありがたいが、いつも高圧的で、何かを押し付けられるようで好きになれない。そんな彼からヴィム・ヴェンダース『Perfect days』が好きだと言われた。ぼくは、あの映画が好きではないことは何度かここでも書いたと思うが、全てが正しいと描かれる教育番組のようだとその話をしたところ、「君はバイアスがかかっている、もっとフラットな目を持つべきだ」と言われた。彼のその言葉もまたぼくを諭すようで、偽善の正義感の上にのみ成り立つような佇まいがどうも癪にさわり、別れの挨拶をして映画館を出た。帰り道に、頭からそのことが離れず若干むかついたこともあって、バイアスについて考えていた。カタカナで誤魔化さずに日本語にするならば、偏見や先入観であり、彼のいうバイアスとは、ぼくはヴィム・ヴェンダースに対して偏見や先入観を持っているということだったのか、それともぼくが日本の美徳や美意識について偏見を持ちすぎているということだったのかと考えていた。そんなこと以上に、ぼくはおそらく偏見や先入観のない社会は望まないだろう。コントラストは偏見や先入観によってのみ運ばれるわけではないとしても、コントラストを持った社会の姿をぼくは好む。その偏見や先入観こそがものに対峙するときに一つの角度を与えるものとなるし、その人なりのものの見方になるのではないだろうか。もちろん偏見のない目を持つことは時に特に大事なことだろうが、均一化する社会において個人の尊厳を守るのであれば、バイアスがかかった人間をバイアスがかかったままにしておくことが一番であり、それがもし良くても悪くても、ぼくは個人の尊厳を守ることを優先したいと思う。