2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2026.6.14

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2026.6.14

 JayとStenとRosalienとJannahとInter-cityでオランダvs日本を観戦。良い試合だったが、熱狂的なファンたちの中に一人ぼくという日本代表を応援するものが混じっているが、冗談のようなブーイングがあるわけでもなかった。それはぼく自身が纏っている絡みずらさのようなものが起因したのかもしれないことは前置きとしつつ、日本代表のユニフォームを着たオランダ人はブーイングされ、ぼくのような日本人はそれほどいじられないのである。現実の世界が持つ正義と悪のような美しくもあり時に醜くもあるコントラストを、偽善として作られた社会の中にそれらが人工的に作り上げられ、その偽善的な社会の上で、演技のように善悪を自ら作り出しパフォームしているように見えた。ここでは、人間が経験によって培ってきた道徳ではなく、人間が頭で作り上げたルールで人間が歩む道を決められているようで、少し悲しくなるのである。ぼくは、一人日本代表を応援するものとして、能動的かつ積極的に荒野に飛び込み揉まれに行ったにも関わらず、そこには人工の荒野が存在しただけだったのである。そこにはルールを外れたぼくのような部外者が入る場所は存在せず、ぼくという人間はいないものもしくは大勢の一つとしてみなされるのである。
そして、その偽善的な社会の上に生きる人たちは、ルールに規制された配慮というものしか持ち合わせていないような気がした。他人を蔑むことという概念を持たないような教育を受けてきたのか、水がかけられるわけでもなく、肩を組まれるわけでもない。
自国の失点に関して悲しんだり怒りを覚えたりするが、それらの感情が他者に向かうことはなさそうだった。今日感じたものは、ぼくがオランダに生活しながら日々感じている「圧倒的なまでの質感のなさ」と関係しているように思った。