京にいるとき、ある人と話していた。彼はもう日本には住んでいないが一時的に日本に来ていた。「ホンマタカシは、ぼくの住んでいた2007 年とか2008年頃の東京の全てを物語っている」と言っていた。「いつだって、ホンマタカシの写真を見ればあの頃の東京を思い出す」。正直とても羨ましかった。ぼくにはそんな写真家はいない。ホンマタカシは時代の寵児であるだろう。しかし、ぼくたちの世代や後世にとって、自分たちのための新しい物語は語られているのだろうか。ホンマさんに何かを言うつもりも友人に何かを言うつもりもない。だけれど、読者として、懐かしい音楽を聴いたり、その時に見ていた映画や、写真を見れば、簡単に感情的になれる。その頃を懐かしがりながら物想いに耽ること以上に、ぼくたちは未来を向いて新しい物語を紡ぐべきなのではないかと思う。ぼくの写真や文章が誰かにとって、個人史の中で時代を象徴するものとなりえればとても嬉しいことである。ある人がホンマタカシの写真を見て感じる自分の時代があるように、くるりを聴いて感じる自分の時代があるように、誰かにとってぼくの作品や文章はある人のいつかの時代を象徴するものとなれればそれほど光栄なことはないし、いつかそうありたいと願って、もし願うなら、きちんとまとまった作品を、その時代に自分が考えていることをしっかりと詰め込んで作品を発表するべきなのだ。