2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2025.10.2

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2025.10.2

 昨日の続きだが、自己顕示欲、虚栄心というと、なかったことをあったかのように話すことを挙げているようにも聞こえるが決してそうではなく、たとえばある事実を話さないという決断さえもが、虚栄ではないかということである。言わないことを持ち合わせた人間、言えないことがある人間など山ほどいるだろうし、もしそれが配慮や建前の上で成り立っている社会や人間関係なのであれば、それ自体をぼくは割と好むという側面もあるが、もし言わないという決断さえもが虚栄心と握手を交わした状態であればどうだろうか。そんな風に構成されている人間社会では、もはや現実など存在しないのではないだろうかとさえ思えてならない。隠すという行為が、 配慮なのか、虚栄心なのか、自分自身にしかわからないことである。
「日記という体」を持っているとはいえ、その日に起きた出来事全てを書く必要もない。