2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2024.6.12

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2024.6.12

ベッドフレームを組み立てると寝室が広くなった気がした。何かが大きく変わったこともない、ただ20cm高さが出て、そこにスーツケースと本の梱包資材を収納した。それだけのことだ。たとえるならば、Mark Mandersの作品が数ミリ浮いているようなものと近いだろう。
20cm高くすることによってマットレスの下に床が見えるからか、部屋の全体的な印象が大きく変わり、空間が拡大したように思う。
村上春樹「アンダーグラウンド」読了。素晴らしい内容で、村上春樹の称賛されるべきプロジェクトだと思った。言葉を作る人間として、言葉を選びながらと表現しようとしている箇所が見られたが、今作の実体の強度を前にすると、それが日本を代表する作家の言葉であろうと、その言葉がいかに無力であるか、周りくどいかを感じさせられた。Lauraの実家のお店に行って、コロナの時大変だったか?とか最近がどうなのか?と尋ねるのが野暮であると感じたのと同様に、言葉自体が、その実体が本来備えている感情や質感を邪魔してしまいそうな気がした。
記憶を失うことと失われた記憶を紡ぎ直す作業がどれだけ尊いものなのか、何がその失われた記憶を紡ぎ直す原動力になるのか。断裂してしまった記憶の中に一体何があったのか、そして、それを繋ぐ作業とは何を意味するのだろうか。ぼくは、記憶が何によって蘇るのか、思い出されるのかということに興味があるのだけれど、欠落した記憶と忘れられた記憶と失った記憶と、それらそれぞれに、アクセスポイントのようなものが存在するのではないかと思う。過去を振り返ることが全て良いとはぼくは思えないし、美化された記憶、ないしは過去の栄光にしがみついて生きるということに、ぼくは人間の弱さを感じるのである。
そして、記憶とは何に宿るのだろうかとも思った。実際には、脳に残っているのではないかもしれない。
今日から数日間ミラノのSmall Small Spaceでぼくの本を展示してくれている。