2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.12.20

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2022.12.20

朝から健康診断。銀座医院という、健康診断をするための病院なのではないかと思わされるようなシステマティックな場所で、全員同じようにパジャマのような格好をさせられる。一人一人に番号が与えられる。そうしないと検査には参加できない。
部屋が15個くらいあり、看護婦さん一人、各部屋から出てきては、番号を叫ぶ。同時に違う部屋からも看護婦さんが出てきてまた違う番号を叫ぶ。その叫ぶ声が呼応するように、また違う叫び声を産む。その叫ぶ順番にも、音程もリズムも、そもそも音楽を奏でるつもりもないもんだから、BOREDOMSの100人ドラムのようなノイズの渦を作る瞬間が存在する。そういう風なことを考えていると、自分は、そのノイズを作るための番号である必要があるのかもしれないと思えてくるのであるが、そのシステマティックに流れ作業に飲まれた時は、いつも異物として存在したいと思ってしまう。それもまたノイズに不調和音を生み出し、新たな音となるのである。
今日のぼくは、なぜか一人そこに畳んであったガウンを羽織り、「パジャマだろうがガウンだろうが与えられたものをきちんと着こなし、関西弁丸出しで質問をたくさんする患者」という設定になっていた。なので、看護婦にとにかく質問する。その質問は、システマティックになりがちな彼女たちの行動に人間らしさを産み出すきっかけとなっていた。システマティックにしていると、どうもリズムが出てくるものだし、思考しなくても快感を得られるものだからやっている人間も気持ちよくなってしまう。それでは、人間が人間でなくなってしまうのだ、だからぼくは異物として看護婦にイレギュラーな質問をして、そのリズムを必死に狂わすことを試み続けていたのである。
例えば、人間が裸でいたとしよう。その人が何をしているのか、何かしているのではないかと思わせられるようなカッコいい存在というのがやっぱりぼくの理想である。それはどこで認識することができるのだろうか。銭湯でも一目置かれるような、こんなパジャマだろうがガウンだろうがをみんなと同じように着ている時にもなんだか気になるようなそんな存在でいたい。
昨日から左脇腹がまた痛いのだけれど、その検査はせず。