今日から聖子ちゃんがCairo Apartmentから12月に刊行する森田幸子さんの本の最終仕上げのために京都に行くので、一人で東京に残る。
夜は、W杯を観戦。一人なのをいいことにチュニジアvsオーストラリア、サウジアラビアvsポーランド、フランスvsデンマークの3試合を観戦。こういう風な自分が肩入れしているチームがない試合をぶっ通しで見ていると、高校野球のような泥臭いのがW杯のサッカーの魅力だなと改めて気付く。自分自身の試合前の応援国と途中の応援国、終盤の応援国の違いを感じ取ることもできるし、知らなかった好みの選手を見つけていきなりその選手ばかりを応援することもしている。
例えば、最新のサッカーを見たければ、各国のリーグを見るほうがいい。プレミアリーグを見ていると、レベルが高く、スピード感のあるダイナミックなサッカーを観ることができる。
母国のために戦うというのは、理論じゃなくて、心の繋がりだとか家族との関係だとか世界のどこの場所かとか政治的な側面(意識していなくてもどうしても)だとかの中で戦うということで、そういうものがより一層、物事を熱狂させていく。例えばフランスvsモロッコとかそういうのは、植民地などの歴史の文脈から見ても非常に人々を熱狂させるものではないだろうか。決して現代の国同士の政治観だけでは語りきれないだけの国民の日常生活に潜むものとして、愛国心と母国、それはフランスで育ったモロッコ人などもいることに対する意識、複雑に絡み合っているのだが、サッカーにはそんな側面もある。一方で、ただ単純に弱者が強者に勝つという面白みや、レベルの高い試合を見る喜び、様々なパースペクティブで一つの偶然の現象を観察することができる。やはりW杯は人々を熱狂させるべきなのである。し、人々はW杯に熱狂させられるべきである。
母国のために戦うというのは、理論じゃなくて、心の繋がりだとか家族との関係だとか世界のどこの場所かとか政治的な側面(意識していなくてもどうしても)だとかの中で戦うということで、そういうものがより一層、物事を熱狂させていく。例えばフランスvsモロッコとかそういうのは、植民地などの歴史の文脈から見ても非常に人々を熱狂させるものではないだろうか。決して現代の国同士の政治観だけでは語りきれないだけの国民の日常生活に潜むものとして、愛国心と母国、それはフランスで育ったモロッコ人などもいることに対する意識、複雑に絡み合っているのだが、サッカーにはそんな側面もある。一方で、ただ単純に弱者が強者に勝つという面白みや、レベルの高い試合を見る喜び、様々なパースペクティブで一つの偶然の現象を観察することができる。やはりW杯は人々を熱狂させるべきなのである。し、人々はW杯に熱狂させられるべきである。