一保堂でお薄を一服。なぜお茶が一服するというのかというと、昔中国からお茶文化が日本に入ってきた時には、お茶というものは薬とされていた。
「服」というのは病を癒す術として用いられてきた言葉で、衣服も同様に薬のような扱いがあり、草木染めをして身体に纏っていたのだという。そんなことからお茶は一服すると言われているのである。こうやって言葉やものの成り立ちを少しずつでも知ることは人生の楽しみの一つだなと思うことがよくある。別に知らずにでも生きていけるし、知ったからと言ってじゃあ何か変わるのかと聞かれると正直はっきりと答えるのは、難しい。知ってこそさらに物事を多角的に感じ取り、深みを感じ取れるものは世の中にたくさんあり、芸術も文化というものは基本的にはその部類に入るのだけれど、ぼくは人間の生というものもその一つだと思うのだ。知ることは体で知ることも知識として知ることもどちらとも意味すると思う。
薄茶を飲み終わると茶碗の内側に抹茶の跡が残った。なんとなくこの色合いが織部焼きと似ているなと思って、織部の緑の釉薬の由来を調べてみたが、調べてみると、織部の緑の釉薬の由来は全く違うものだったのだが面白い記事を見つけた。
織部焼の緑の釉薬に多治見の田園風景を見たのだという。桃山時代の人たちは、釉薬が出す変化を「けしき」と呼んで愛していた。
釉薬が流れるというのを、中国では失敗だと感じたけれども、日本では他の器と違う釉薬の流れがあることを美しいと感じたそうだ。釉薬の中のそういった変化を「けしき」と呼び、見る人が色々と想像していた。海の深さだったり、山の深さだったり、そういったことに青さを想像していた。
ぼくのTo Find The Right Chairもそういった自分の「けしき」を見ることを一つのテーマにしていたので妙な繋がりを感じ、日本人は古来からものに「けしき」を見たのである。
自分の作品に意識しなかったけれど、日本人らしさがあるのだなと思った。
「服」というのは病を癒す術として用いられてきた言葉で、衣服も同様に薬のような扱いがあり、草木染めをして身体に纏っていたのだという。そんなことからお茶は一服すると言われているのである。こうやって言葉やものの成り立ちを少しずつでも知ることは人生の楽しみの一つだなと思うことがよくある。別に知らずにでも生きていけるし、知ったからと言ってじゃあ何か変わるのかと聞かれると正直はっきりと答えるのは、難しい。知ってこそさらに物事を多角的に感じ取り、深みを感じ取れるものは世の中にたくさんあり、芸術も文化というものは基本的にはその部類に入るのだけれど、ぼくは人間の生というものもその一つだと思うのだ。知ることは体で知ることも知識として知ることもどちらとも意味すると思う。
薄茶を飲み終わると茶碗の内側に抹茶の跡が残った。なんとなくこの色合いが織部焼きと似ているなと思って、織部の緑の釉薬の由来を調べてみたが、調べてみると、織部の緑の釉薬の由来は全く違うものだったのだが面白い記事を見つけた。
織部焼の緑の釉薬に多治見の田園風景を見たのだという。桃山時代の人たちは、釉薬が出す変化を「けしき」と呼んで愛していた。
釉薬が流れるというのを、中国では失敗だと感じたけれども、日本では他の器と違う釉薬の流れがあることを美しいと感じたそうだ。釉薬の中のそういった変化を「けしき」と呼び、見る人が色々と想像していた。海の深さだったり、山の深さだったり、そういったことに青さを想像していた。
ぼくのTo Find The Right Chairもそういった自分の「けしき」を見ることを一つのテーマにしていたので妙な繋がりを感じ、日本人は古来からものに「けしき」を見たのである。
自分の作品に意識しなかったけれど、日本人らしさがあるのだなと思った。