2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.3.1

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2022.3.1

今日はとにかく散歩。
銀座、日比谷周辺を散策。散歩するだけで身体がどんどん丈夫になるような、そんな生き方ができればいいなと日々思う。自分の身体を使って自分の身体の不調を整えていく。本来人間の身体はそんな風にできているのではないか。動物とはそうできているのではないかと思うのだ。植物は、植え替えをしたり、動かすと元気がなくなる。一方、動物は動くことで自分の心身のバランスを整えているように思う。
日々の言動で自分自身を元気にできるのが人間の本来持つ姿なのだ。人間は、考え、声を出し、自分の意思で動くことができる。それによって、自分を元気することができる。大きな声を出したり、人と笑い話をしたり、悩みを打ち明けたり、同時に黙ることもできる、そんな風に心と思考を喜ばせ、身体を動かし身体を喜ばせる。温かいお風呂に浸かり、冷たい石の上に寝転がり、リラックスして身体を喜ばせる。全ては自分の意思の上に存在している。同時に、知識や知性がそれらの人間の動物的な部分を邪魔しているようにも感じるのだ。思考して、行動を止める。思考して、発言をやめる。思考して、躊躇する。そんなことが人間の動物性を邪魔するのである。
夜は、Stellaの散歩する。リーダーとは少々の強引さが無ければいけないのかとStellaを散歩させながら思った。どれだけ嫌がっていても無理をさせて歩いてみると意外とついてくるもんである。これは犬と人間の関係だけでなく、チームや国というレベルでも同様のことが起きているなと自分のいる環境やウクライナへのロシア侵略問題を見ていても感じる。強引であること、それは決していいことだけではないことは明白である。しかし、強引さは、ある種リーダーの必須条件とも言えるだろう、毅然とした態度を生み出す。毅然とした態度は人を納得させるだけの力を持っている。それが、良いこと悪いことというのは別として明らかに納得させるのだ。同時に強引さは、本人に「頑固さ」や「一度言ったら後戻りできない」というような人間の持つ病的な性格をさらに強くしてしまう気がしている。