2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.8.30

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2021.8.30

Hamishと三木からワクチンを接種したのかという連絡があり、まだしていないというとなんで摂取しないのかと聞かれた。Hamishはかなり高圧的に100件くらい接種しろという連絡をしてきたし、三木も理解できないという感じだった。
そのメッセージでなんだか自己嫌悪と他者嫌悪を感じたし、シリアスになれと言われたのだけれど、ぼくは僕自身で十分シリアスだと思ったが、足りないのだろうか。本当に警戒するべきはコロナウィルスだけだろうか。地球上にはその他いろいろな問題はあるし、違う病気もウィルスもいる。ワクチンだけの話をすると、もちろん今のコロナ問題への対策の一つになるだろう。ワクチンは、ある国は3度目の接種が出来るが、アフリカなど発展途上国ではまだ1回目を摂取するのもままならないほどの数しか手に入っていない国もある。2度目のワクチンを摂取したと喜んでいる人の中には、アフリカの雑貨やアンティークを売ってビジネスをしている人もいる。彼らは、豪邸に住み、裕福な生活をしているが、、、、
世界が平等になるようにと、ぼくは、それほどリベラルな思考を持ち合わせている方ではないと思うが、人間の傲慢さや自己中心的な思考を嫌っている。隣人を愛せよと中学高校の礼拝で散々聞かされたことが少しくらいは影響しているかもしれない。
もちろん、産まれる国を決めれるわけではないので、自分のいる国や環境でできるだけのことをするべきだし、全ての人がアフガンの状況下を体感するべきだとも思っていない。だから、自分のいる環境でできることをするのが一番良いのだと思うのだけれど、環境を変えられる力を持っているのも同時に人間なのである。色々と考えていると、かなり恐怖を感じさせられることになった。
もちろん、僕だって揺れている状態で、本当であれば摂取しなくていいのであればしたくない。何もしないでいいのであれば何もしたくないというのが本音である。あまりワクチンやコロナの問題をポリティックに語るのは好きではないし、何かや他人を否定した発言をしたところで何が変わるというのだろうか。それであれば個々人レベルでの行動に変化をさせるべきだし、個人の行動は個人個人に権利がある。最後の決断は自分自身の決断なのである。アウシュヴィッツでもそうだし、日本の戦時下でもそうだった。荒れ狂った社会の中でも、解像度を上げて個々人レベルで見てみると、そこには決して荒れ狂った社会に比例するように荒れ狂ったものだけではなく、相手が敵であろうと人と人との関係があり、全てを超越した道徳的行為があり、社会の一員、軍隊の一員、構成員である前に一人の生身の人間であろうとする度胸があるのだ。
問題はワクチンではなくてウィルスなのだから、どのように対処するかを考える必要があり、その一つの策としてワクチンがある。手洗いもうがいもマスクもリモートワークもソーシャルディスタンスも非接触も全てその一つである。
じゃあ、リモートワークを推奨されている中でリモートワークをしない人はどうなのか、狭いお店でお酒を飲むことはokでワクチンを摂取しないことは悪とされるのか。
人間は、いろいろな経験をする中で頑固になると思うのだけれど、
そんな議論や空論はさておき、じゃあ実際にどう行動しているのか、どんな態度で日々過ごしているのか、そんなことの方が議論や論理などよりも重要なのは明らかである。
コロナに誰が感染するのかもわからない中で誰かを貶したり、見下したりしている余裕があるのであれば、もう少し自分の日々の行動の中に精神を宿らせるべきである。
夜は、リガトーニでチーズのパスタを食べる。食後に、ビアレッティでエスプレッソをいれて、アフォガートを作る。最高。24時ごろ就寝。ワクチンのことを考えすぎて恐怖を感じてしまった。
聖子ちゃんがプロポースされたことをご両親に伝えたらしい。安心させられたようでよかった。