2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.6.16

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2021.6.16

聖子ちゃんが東京に戻ってきた。これで一人での生活ももうなくなるだろう。
夜は、きゅうりと茗荷をたっぷり入れてそうめんを食べる。氷をたくさん使う。一人だと氷を使うなんて考えないのだけれど、二人だと氷は必須である。
彼女がいると自分の人生が実のあるものであるように感じる。存在感覚が宿るような感覚がある。他者の存在を認めてこそ、自分の存在があるという感覚。
結局、人は自分自身のために自分の人生を生きているのではないのかもしれない。必要とされるとか必要とされないとかではなく他者の存在があるから自分が生きているのである。「自分が生きている」というのと「自分がいる」というのは若干ニュアンスが違う。デカルト的には「我思う故に我あり」なので、思考する自分があるということは自分がいるのである。そして、自分が生きているというのと自分がいるということとはまた少し違う。