成城学園前のAlpusでモカロールを食べる。Alpusのある街は良いなと思った。徒歩圏内にこれがあるのとないのでは大きく人の生活は変化する。心の余裕ができると人は他人に優しくなり、優しさが生まれると社会全体が思いやり配慮で溢れる。そうなれば環境問題も、人権問題の多くの部分は解決に向かうような気がしている。なぜ人は無計画に日々の中で安易な行動を取るのだろうか、その瞬間瞬間の選択や行為がぼくたちの生活と社会を形成しているのだという認識を持てるだろうか。
今ならぼくはとても自分自身の行為の中で、興味深いのは、電車で窓を開けることである。
その行為には、人への配慮、勇気、ピエロになれるかどうかが関係している。
開けるという行為は自体は1秒で終わるのだが、混雑した電車の中で、ただ乗り合わせただけの人たちと生活を共にしているという実感が持てるか、勇気を持てるか、注目を浴びて変な存在で入れるかどうか(ピエロ)が強く関係している。それが1秒で済む行為を億劫にさせる。
二手舎の東片さんの口からぼくは写真家ではなく、生活者だと言われた。
それがまさにぼくが自分を語る上で一番言いたい事だったので、彼の観察力への驚きと同時にぼくの作品にはぼく自身が思い描く理想像が少なからず他者に伝わる形で存在するのだという実感を得た。
ぼくは、真っ当に生活をしている一労働者階級でしかなく、いや、仮にぼくが労働者階級だろうが、中産階級だろうが、ブルジョワジーだろうがそこには大きな変わりはなく、それ以前に「自分の生を日々を思慮深く生きることでぼく自身が何を得て、何を学ぶことができるのだろうか」それがぼくの日々の営みなのである。野生なのだ。
今ならぼくはとても自分自身の行為の中で、興味深いのは、電車で窓を開けることである。
その行為には、人への配慮、勇気、ピエロになれるかどうかが関係している。
開けるという行為は自体は1秒で終わるのだが、混雑した電車の中で、ただ乗り合わせただけの人たちと生活を共にしているという実感が持てるか、勇気を持てるか、注目を浴びて変な存在で入れるかどうか(ピエロ)が強く関係している。それが1秒で済む行為を億劫にさせる。
二手舎の東片さんの口からぼくは写真家ではなく、生活者だと言われた。
それがまさにぼくが自分を語る上で一番言いたい事だったので、彼の観察力への驚きと同時にぼくの作品にはぼく自身が思い描く理想像が少なからず他者に伝わる形で存在するのだという実感を得た。
ぼくは、真っ当に生活をしている一労働者階級でしかなく、いや、仮にぼくが労働者階級だろうが、中産階級だろうが、ブルジョワジーだろうがそこには大きな変わりはなく、それ以前に「自分の生を日々を思慮深く生きることでぼく自身が何を得て、何を学ぶことができるのだろうか」それがぼくの日々の営みなのである。野生なのだ。