2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.7.4

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2019.7.4

日記を書いてない日々が続いていた。出張もありオーダーの締め切りもあり、びっくりするような忙しい日々。
日記を書いてないと落ち込む時間がないほどの日々を過ごしていた。
それは本当に僕たちが必要なことだろうか。
これだけの人が住んでいる街で、一方で地方が過疎化しているというのである。
地方に家を持ち都市で仕事をするというのが今単純にナチュラルなことなのかと思う。
地方には地方の厳しさがあり、悩みがあり、都市には都市の悩みがある。
最低限の蓄えをしておく。
19時に仕事が終わり、Aux Baccanalesで一服。レモネードとフレンチフライを食らう。
仕事は、17時までに終わらせるのが自分の中では鉄則であった。日本で働いているとそんなことを一ミリも考えない日々になった。
仕事を時間内に終わらせることが自分の中では決まりであった。仕事を時間内に終わらせることが頭を使って仕事をすることだと思っていた。休憩は休憩する時間だし、休みは休みである。
もしそれでダメなら別にやめたらいいと思う。自分は、そんな仕事だけの人生に違和感を感じていて、そこに変化を見出したいのだから。
誰がなんと言おうとぼくの考えである。人がぼくの考えを否定する権利はない。

一日中仕事して休みまで仕事をしている今は、仕事が出来ないと思われているだろう。自分でもそう思う。
結局自分のクリエイションではないんだなと思う。
常に、社会の為になることをするべきだとぼくは思っている。常にぼくの思考の終着点はそこにある。
社会とは何か、社会とは人なのだ、隣の人なのである。そして、自分もそうだ。