2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.5.5

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2019.5.5

11時半からDSM
最近すごく複雑な気分でいる。元気がないと言われるが、それほどでもない。
真面目に働きたいのに、真面目さのない人たちがいて、やるなら真面目にやった方がいいと思うのである。もし真面目じゃなくて遊びなのなら、ぼくには他に楽しい面白い友達はいる。友達気分なのならもっと面白い友達と遊びたい。だったら仕事なのだから、仕事を仕事としてきっちりとすること。
ぼくもぼく自身が中途半端なんだろうなあと思う。
同僚が「やっぱりヒーローになりたいですよね」と言っていたが、ぼくの頭は???でいっぱいになった。
まずは、ヒーローになる場所がここでいいのか。さらに、ヒーローになる価値は?何を根拠にヒーローなのか?目的はただヒーローになることなのか?
疑問だらけの発言に、気持ちをどこに向ければいいのかわからなくなってしまった。
ぼくは、一貫して、刺激的な体験によって新しい視点や考え方を生むこと、人生や視野を広げること、それがぼくの他者と生きる上でのテーマである。作品を作っていた時も、コマーシャルワークをしていた時も、カフェで働いていた時も、今も同じテーマを持っている。
だから、今だったらファッションを通じてものを買う感覚や、違う洋服の考え方を持ってもらうこと、そんなことが大切だと思っている。(他にも色々あるのだけれど、簡単に例えるのであれば、)
つまらない日本のファッション業界にメスを入れるくらいの気分である。オシャレなんて糞食らえだ。オシャレなんて甘ったるいものはいらない。カッコいいかどうか、緊張するか、凛とするか、品があるか、刺激的か。
美術館に展示されている美術品をみてオシャレと思うだろうか?思わない。それと同じ感覚にまで持ち上げたい。
オシャレなファッションをやるのは他でもいいと思う。ぼくたちはオシャレをやっているのではない。
別にヒーローになんてならなくてもいい。
ヒーローになりたいなんて言っている人を否定するわけではないが、ぼくはパーティをオーガナイズして、後ろで必死で準備をする人になりたい。昔からそんなイメージを頭の持っている。ホームパーティで、100人以上も人が来てそこで人が交易し、新しい出会いがあり、奇跡が起きる。ぼくの知らない人もいる。誰がこれを開催しているのかさえ知らない人もいる。料理を出す、料理を作っているのはぼくなのだ、それをやっているのがぼくである。
ずっと昔からそんなイメージが頭の中にある。