2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.5.25

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2019.5.25

朝は、コーヒーを淹れ、トーストを食らう。
9時からサクッとランニング。5km程を少し早めのスピードで走る。なんだかモヤモヤした気分を断ち切るのは自分のスピード感を超えていくことだと思い、とにかく全力疾走。
長い人生を過ごすことも大切だけれど、全力疾走して、短命だけれど強いクリエイティブをすることも大切。
後先考えずに全力疾走する、その先には想像以上のことが待っている。
11時からDSM。昼はAux Baccanalesでノワゼットとクロワッサンダマンド。村上春樹『カンガルー日和』読み進める。夕方、屋上でリンゴを食いながら『カンガルー日和』読み進める。
短編の中身がない、作風がとても好きである。ただ風のように物語が過ぎ去る、そこに何か伝えたいことがあるのかないのかさえわからない。しかし、読者は感覚的にではあるが、何か得体の知れない手に取れない物体を受け取ることになる。
ぼくは、日々の行動選択の全てが身体に蓄積されていくと信じているし、その中で作品というものにはその日々の行動選択の蓄積が写り込むと信じている。
写真の構成や、デザイン性、コンテクストなども大切だと思うが、日々の行動選択の大切さをぼくは伝えたいのである。アートワークを通じて何かを伝える人もいれば、アートワークをするために素晴らしく表現豊かな生活をする人もいるのだと思う。
例えば、電車で席を譲る、譲らない。譲る人には譲る人らしいアートワークがあるだろうし、譲らない人には譲らない人らしいアートワークが存在する。どちらが正義か悪かという問題ではなく、違うのである。
もっと様々な事象が複雑に絡み合ってはいるものの、全体的にはそんな感じである。

仕事終わりに、急ぎ足で六本木アートナイトへ行き、渡邊さん、カヤさん、ロナさんと合流。やありさんとも久しぶりに会う。それからロナさんのイスラエルの友人2人に会う。彼は31歳で最後のワーホリで日本に一緒に来ているのだという。彼女のスゥちゃんは、23歳で東京芸大で陶芸をやっているという。
彼は、イスラエルの北部で生まれ、19歳からインド、ドイツ、アメリカ、日本と旅を続けて、24歳でジェルサレムに引っ越し、その後、少し働いたのち、27歳頃から大学で勉強していたそうだ。23時ごろ帰宅。
この前の、友人今中のロンドン時代の友人のフェデリコといい、今日のイスラエルのお友達といい、いま同世代の友人たちに会うことが多い。様々な生き方をしているし、ぼくはまだまだ無敵の無地だなあと思うことも多い。