2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2012.2.15

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2012.2.15

朝から、モーニング3店舗行く。トーキョーに住んでいた時によく行っていたエスプレッソバーはやはり素晴らしいです。挨拶が必ず存在し、今日の豆はこうだという紹介があり、一日5分〜10分の朝の楽しみ。これが人生を楽しませるだろうし、リズムもある。リズムってかなり大切だとぼくは思っている。
その後、鎌倉へ移動し、先輩のお店、GAMA、パラダイスアレイへ。
横浜でもりうちなおちゃんと合流し、かつくら。その後、フルヤプランツ。
その後トーキョーへ戻りH.P.、Bazar et Grand Mangerへ。
前に働いていた会社の先輩と食事し帰宅。かなりハードだけれど刺激の多い一日。
移動距離と刺激量や想像力って比例しているような気がする。

フルヤプランツはかなりすごかった。衝撃的。
「植物のある暮らし」ってのがぼくにはしっくりこなくて、だってぼくの育った街にはずっと当たり前に存在していて、盆地だからどっち向いても山は見えたし、実家の前は山だし、山に秘密基地作ってた。
そういうのじゃなくて、恐怖とか刺激とか癒し系じゃないアバンギャルドな植物(育て方も種類も)から感覚的に刺激を受けたい。それが人の思考を促すような気がするんだよ、だから温室の植物園とか好きなんだ。と、思っていたけれど町中にいきなりあんな異国が出現したら正直怖かった。このままどこに向うのかわからなかったし、不安しかなかった。
あんなエスプレッソバーやりたい。当たり前のように毎日来れる所だけれど完全にパラレル。
既成概念をぶっつぶし続けることがしたい。荘子も既成概念からの解放をいっている。


《A table! Comestible Paysage Labo》
植物の楽しみ方って実はすごく幅がある。
ぼくは、季節の移ろいを楽しむのがいいんだと思っていた。どういうことかというと、春に芽吹き、夏に緑になり、秋に落葉し、冬に枯れる。そんなのが当たり前である。中国の水墨画でも枯れた木を描いたりしている。そこに美しさは存在するんだということだと自己解釈していた。その違いを楽しめる美しめる文化が今どんどんなくなっているんじゃないの?もっと違いを愛でる文化継承しなきゃいけないんじゃない?と思っていた。
しかし、現在外国からの輸入も出来るし、いろんな方法で日本古来からある既存の植物ではない植物がみられるようになった。それらは、寒くなると葉っぱや枝の色が変化したり枝の形が変化する。暖かくなるとまた枝の色や形が変化する。そういう楽しみが現在はできるのだ。それは季節の移ろいを楽しむことである。実を楽しむ、葉っぱを楽しむ、枝を楽しむ、花を楽しむ。そのためには、その植物がどんな成長の仕方をするのかを知る必要がある。
フルヤプランツのマルタさんに言われるまでそんなこと全く考えてなかった。楽しすぎる。

《酵素Labo》
冬期の為、実験中止。再開をしばしお待ちください。