広尾の都立中央図書館に行く。
福岡伸一「ロハスの思考」読了、クリストファーフレイヴィン「地球白書」、レイチェルカーソン「沈黙の春」読む。
Lifestyles Of Health And Sustainability(健康と持続可能性に配慮したライフスタイル)
「ロハスの思考」は現代への危機感、疑問がたっぷり詰まっていて非常に興味深い内容であった。
環境問題に対して先進的なアメリカ西海岸では、ハリウッドスターはレッドカーペットにリムジンで登場するのではなくプリウスで登場するらしい。これぞキャピタリズム!おもしろいけど。
「安心」と「安全」はよく似た言葉だけど全く違う意味を持っていて、ぼくは今まで食べ物を「安心」という視点で見ていた。しかし、これからは「安全」で食べ物見てかなければいけない。それは、宮崎県産のトマトを買うかガイガーカウンターで測定したトマトを買うかの違いに表現出来る。
ぼくがすごく問題視しているベネフィットを求める加速的な行為は、ベネフィットを求めた人為が問題である。そして、ベネフィットに対するリスクは必ず下流に流され消費者へもたらされる。リスクとは、ベネフィットを求めたことによる損害や犠牲である、危険性ではない。リスクヘッジが小さくかかれているということは何か怪しさがあるのではないかという疑いを持ってみる。例えば、実は携帯電話を買うと電磁波をどれだけ出していますという紙が入っているのに気付いているヒトはどのくらいいるのだろうか。携帯電話の電磁波被爆も問題で、この問題は世界的に賛否両論ではあるのだが、電話する耳側の脳腫瘍発生率が反対側の耳に比べると2.5倍になっている。小児白血病、小児がんの発生も実際には出ている。イギリスでは子供の携帯電話の使用禁止勧告されている。リスクヘッジは売りたいから小さく表示されていてベネフィットは大きくなると同時にリスクも大きくなる。
本の中でも特に興味深い内容は、ぼくたちの生命を構成する分子はプラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあるということ。だから、流れを止めないためにもぼくたちは食物を食べなければならない。人間を通り抜けている流れそのものが環境である。ぼくたちも酸素を入れたら二酸化炭素が出る。要は、フラーが言っていたように物体は常にムービングしている。そして、高城剛がいっていたようにマルチスペシャリストにならなきゃいけない。いつも言っているがマクロビしてヨガしてみたいな組み合わせの表面的なライフスタイルを形成するのではなく、言葉やジャンルにできないライフスタイルを自分でいろいろな経験を積み自分の手で作ることが重要だと思うし、そのためにも経験を促すことや多様なレイヤーの存在を知ることを重視していきたい。
今の食についてはカロリーベースで語られることが多いが、上記の分解と再構成の構造的視点からいうと人間はカロリーで動いているのではない、タンパク質や炭水化物などその他たくさんの分子からなりたっているのでカロリーベースの熱量だけで捉えるのは一面的すぎる。ぼくたちの身体は、プラモデルのようにパーツの集合体ではなくエンジンそのものがミクロなレベルで絶え間なく更新されているそんなダイナミズムを持っているのだ。また、食べ物には情報が詰まっている。食物彼ら彼女らの経験が詰まっている。それをアルファベット単位まで分解し、意味を解体し、その食物のプロセスに思いを馳せるのだ!それがとても必要。
また、アーユルヴェーダから派生したチベット医学では身体という小宇宙と環境という大宇宙は絶えずともに手を携えてダンスを踊っているとされる。互いのステップが乱れたり、この両者を突き動かす原動力とのリズムがずれるとそこに疫病が生ずるとされている。この世界は実は部分と呼ばれるもの、切り取れるもの、取り出したり交換出来るものは存在しない。だから臓器移植はあまり進歩しない。理系とか文系とかの枠組みを越えた所で人間は存在しているし生活は存在する。人間が環境を強引に操作しようとした時に必ず人間は環境から操作以上の報復を受ける。それは環境が動的な平衡状態にあるからだ。
地球温暖化なんていうものも事実かなんてわからない。理解出来ない。ただ、自分の肌で感じたりするものを信じないとね。May the force be with youということ。
人々に経験を促したり、感覚をずらしたり、そのなかで現実もバラダイムシフトしていければな。
全コンビニカタログでも作るか!Whole convenience catalog!
はたまたコンビニエンス操縦便覧か!
生活とは、生を活かすものであり生を維持し育むための活動でありまた生きる活力にならなければならない。食と顔の実験4日目。
朝:玄米
昼:りんご
夜:道玄坂くるみの広島焼き、コーヒー
福岡伸一「ロハスの思考」読了、クリストファーフレイヴィン「地球白書」、レイチェルカーソン「沈黙の春」読む。
Lifestyles Of Health And Sustainability(健康と持続可能性に配慮したライフスタイル)
「ロハスの思考」は現代への危機感、疑問がたっぷり詰まっていて非常に興味深い内容であった。
環境問題に対して先進的なアメリカ西海岸では、ハリウッドスターはレッドカーペットにリムジンで登場するのではなくプリウスで登場するらしい。これぞキャピタリズム!おもしろいけど。
「安心」と「安全」はよく似た言葉だけど全く違う意味を持っていて、ぼくは今まで食べ物を「安心」という視点で見ていた。しかし、これからは「安全」で食べ物見てかなければいけない。それは、宮崎県産のトマトを買うかガイガーカウンターで測定したトマトを買うかの違いに表現出来る。
ぼくがすごく問題視しているベネフィットを求める加速的な行為は、ベネフィットを求めた人為が問題である。そして、ベネフィットに対するリスクは必ず下流に流され消費者へもたらされる。リスクとは、ベネフィットを求めたことによる損害や犠牲である、危険性ではない。リスクヘッジが小さくかかれているということは何か怪しさがあるのではないかという疑いを持ってみる。例えば、実は携帯電話を買うと電磁波をどれだけ出していますという紙が入っているのに気付いているヒトはどのくらいいるのだろうか。携帯電話の電磁波被爆も問題で、この問題は世界的に賛否両論ではあるのだが、電話する耳側の脳腫瘍発生率が反対側の耳に比べると2.5倍になっている。小児白血病、小児がんの発生も実際には出ている。イギリスでは子供の携帯電話の使用禁止勧告されている。リスクヘッジは売りたいから小さく表示されていてベネフィットは大きくなると同時にリスクも大きくなる。
本の中でも特に興味深い内容は、ぼくたちの生命を構成する分子はプラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にあるということ。だから、流れを止めないためにもぼくたちは食物を食べなければならない。人間を通り抜けている流れそのものが環境である。ぼくたちも酸素を入れたら二酸化炭素が出る。要は、フラーが言っていたように物体は常にムービングしている。そして、高城剛がいっていたようにマルチスペシャリストにならなきゃいけない。いつも言っているがマクロビしてヨガしてみたいな組み合わせの表面的なライフスタイルを形成するのではなく、言葉やジャンルにできないライフスタイルを自分でいろいろな経験を積み自分の手で作ることが重要だと思うし、そのためにも経験を促すことや多様なレイヤーの存在を知ることを重視していきたい。
今の食についてはカロリーベースで語られることが多いが、上記の分解と再構成の構造的視点からいうと人間はカロリーで動いているのではない、タンパク質や炭水化物などその他たくさんの分子からなりたっているのでカロリーベースの熱量だけで捉えるのは一面的すぎる。ぼくたちの身体は、プラモデルのようにパーツの集合体ではなくエンジンそのものがミクロなレベルで絶え間なく更新されているそんなダイナミズムを持っているのだ。また、食べ物には情報が詰まっている。食物彼ら彼女らの経験が詰まっている。それをアルファベット単位まで分解し、意味を解体し、その食物のプロセスに思いを馳せるのだ!それがとても必要。
また、アーユルヴェーダから派生したチベット医学では身体という小宇宙と環境という大宇宙は絶えずともに手を携えてダンスを踊っているとされる。互いのステップが乱れたり、この両者を突き動かす原動力とのリズムがずれるとそこに疫病が生ずるとされている。この世界は実は部分と呼ばれるもの、切り取れるもの、取り出したり交換出来るものは存在しない。だから臓器移植はあまり進歩しない。理系とか文系とかの枠組みを越えた所で人間は存在しているし生活は存在する。人間が環境を強引に操作しようとした時に必ず人間は環境から操作以上の報復を受ける。それは環境が動的な平衡状態にあるからだ。
地球温暖化なんていうものも事実かなんてわからない。理解出来ない。ただ、自分の肌で感じたりするものを信じないとね。May the force be with youということ。
人々に経験を促したり、感覚をずらしたり、そのなかで現実もバラダイムシフトしていければな。
全コンビニカタログでも作るか!Whole convenience catalog!
はたまたコンビニエンス操縦便覧か!
生活とは、生を活かすものであり生を維持し育むための活動でありまた生きる活力にならなければならない。食と顔の実験4日目。
朝:玄米
昼:りんご
夜:道玄坂くるみの広島焼き、コーヒー
