2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.4.21

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2019.4.21

7時過ぎに起床し、ラジオをInter FMに合わせ、お湯を沸かしコーヒーを淹れ、トーストを食らう。いつも通りの朝である。
10-DSM
どうやってこの状況を打開するかしか考えることが出来なくなっている。場所を変えること、それだけしか方法が見つからない。
そのためには何が必要なのかを時間を見つけながら考えるようにしているがなかなか難しいのが現状である。
とりあえず今の目標としてはロンドンに住むこと、働くこと。ロンドンに住むにはどうするか、
もっと英語力が必要になるだろう。コミュニケーションの英語ではなくて、プレゼンテーションとか、人に何かを一方的に伝えるという英語力。ぼくには絶対的に欠けている。
単純にその要素さえ、クリアすれば可能性は無限大に広がると思っている。
とにかくいまはそれしかない。

昨日、somewhere Tokyoに行った際に店主の方が面白い話をしていた。
こういった家具はなかなか売れない、と。どういうことかというと、日本人には洋服に大金を払う感覚が備わってはいるが、家具やアートワークにはお金を支払う感覚がないのだという。
ぼくも実際に感じていることの1つでかなり共感した。自分はそもそも大金を払う感覚がないもんだから、洋服だろうがアートワークだろうが、まだ慣れていないのだけれど。同時に食べ物や消えてしまうものにお金を使うことにもあまり慣れていないように思っている。オーガニックの浸透の遅さや、他のオルタナティブなものに対する価値観も同様である。感覚がないもんだから、お金はあるがそれが正当な価格なのかどうかを判断する基準がおかしいのである。
ぼくは、洋服に10万もかけるような人間ではないので、そういった洋服を買う人間の理解には苦しむが、椅子に1脚10万とか、アートワークに10万とかそういう感覚ならまだ理解出来る。
ぼくが本当に興味があることは、もしかするとそういう社会の変化かもしれない。気付きを与えたり、視野や世界を広くすること、それが一番やりたいことである。
お金の使用感覚も同様かもしれない。