2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.10.12

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2019.10.12

台風19号が来ると騒がれている一日。
朝からしっかりと雨が降り、友人知人家族からも連絡が来ていた。ネットで見るニュースは警戒を強めるが、ぼくが目の前に見ている雨風はそれほどでもない。家から見える首都高には車一台走っていない、不思議な気持ちにさせる。
母から、「用賀直撃やって〜」と連絡が入っていたが安心させるために連絡しているのか不安を煽るために連絡しているのか不思議だった。結果、安心するのであるが。
村上春樹『羊をめぐる冒険 下巻』読了。作中に、たらこスパゲティを作る描写があったのだけれど、そのせいでたらこスパゲッティが食べたくて仕方なくなり、大雨の中スーパーへ行こうとしたけれど、どこのスーパーも臨時休業をしていた。電車もほぼ全て止まっているし、(銀座線は運転していた)どこにも行けない状況だなと不思議に思った。
『こんな台風の日にたらこスパゲッティが食べたくなるなんて』というタイトルが頭に浮かんだが特に何かを書き出したり作り出すわけでもなく、そのタイトルは食欲とともに消え去った。
結局、2日前に煮込んだoxtailがあったので、ラグーにし、パスタを食らう。
ウディ・アレン『羽根むしられて』読み進める。ウディ・アレンの短編は一度も読んだことなかったので、なかなか入っていくのが、難しい。ウディ・アレンの独特なジョークが文章だとなんだかわかりにくさばかりに感じてしまう。
雨もどんどん強くなり、風も台風らしくなってきて、街に流れるアナウンスも不安を煽り始める。とにかく、ラジオを聴く気にもなれないので、HDDに入っているウディ・アレン『ミッドナイトインパリ』を鑑賞。
映画を観ながらうとうとしていると、地震があり、自分でもどうしようもないほど体が熱くなり、心臓がばくばくしてしまったので、ちょうど連絡を取っていた渡邉ユイさんに電話をする。驚いてとっさの行動だった。人と話すと驚くほどに落ち着くもんである。急いで家の鍵を開けた。台風と地震は連動していたのだろうか。震源地は千葉で、マグニチュード5.7であった。
10人くらいの友人知人と大丈夫かとか安否を確認しながら、暗い部屋に一人でいるのはなんだか不思議な気分だった。20時過ぎ、風と雨がピークに強くなる。風ではガラスは割れないとどこかでYKK社へのインタビュー記事を読んだけれど、確かに割れなさそうであった。ガラスよりも窓枠が飛んでいくのではないかという不安の方が強かった。こういう時に雨戸や窓枠に木を打ち付けるような方法は効果的なんだけれどいまの家では何もできない。無防備にそこにいるしか出来ないのである。それもぼくは好きだけれど。
近くでは多摩川の氾濫があったようだけれど、家の周りでは何も起きなかった。
人の言動によって、メディアによってどんどん不安にさせるが、風と雨とちゃんと対話をしていると不思議なほどに不安は感じないのである。地震は、人災だとよく言われるが、今回の台風も人々のせいで異常に不安になったのではないかと思うことがある。まあ、何もなかったからそういうことが言えるのだけれど、災害があった土地の方々にはぼくは何も言う事が出来ず、一刻も早く日常が戻ることを遠くから祈ることしか出来ない。
台風が去って、太平洋からきた穏やかで暖かい、包み込むような風を感じているとぼくたちは彼らを警戒しすぎたのではないかという気分になる。なぜ台風はやってきてぼくたちに警戒を促すのだろうか。こんな穏やかな心地よい風は本当に僕たちに被害を与えようとしているのだろうか。