2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.2.8

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2019.2.8

久しぶりに何も予定がない一日。
年明けからずっと流れに乗っているのか、乗れていないのかはわからないけれど、流れに任せてバタバタと駆け抜けてきた気分である。
ふと「はい、どうぞ」と大海原に放り込まれたような気分になる。
仕事においては、行動範囲の拡大や、自分にとって新しいことが始まり、刺激的な日々を送っているのだけれど、もちろんうまく行かずフラストレーションも多い。それは素晴らしいことだと思う一方で自分がこれまで生きてきた方法を否定しているような気分にもなる。
個人としては、仕事に依存しているなと感じる時間がとても多い。じゃああなたは会社がなくなった時に何が残るのか、
何かに裏切られる、裏切られる気分になる。そんなことはよくあることだとぼくは思うし、一人は裏切ったつもりがなくても相手は裏切られたと感じるものだと思う。
何を信じればいいのかと、思うのだけれど、ぼくは様々なものを信じて生活していきたいし、信じて生きること、信じられて生きることはすごく心地が良い。信じて生きるしかない。
過去のあるタイミングでぼくは、何も信じないと思っていた。今もどこかにそういう感覚は少なからずある。
だけれど、信じる力を持つことは大切である。信じることは愛であり、信じることは力になる。
誕生日を迎えるにあたり、最近よく考えていることが、このまま今年一年東京にいていいのだろうかということである。ロンドンに住みたい。東京という街からエナジーが消えたとまでは言わないけれど、ぼくの心とはあまり共鳴しないようである。
違う都市で、違う価値観や環境で育った人々と新たな価値観を模索し、共存していく。新しい美しさと古くからある美意識を求める。そういう日々を過ごしたい。
身体で学ぶことしかぼくは興味がないのだ。
言葉だけだととてもキレイで聞こえはいいが、とても難しいし自分の生き方はそれに値するのか。