2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2019.2.17

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2019.2.17

日曜日。
一見、人の為に行うように見える行為も実は全て自分のためにやっているのではないか。
朝は、聖子ちゃんと表参道のBlue Bottleへ行く。妙にこの場所が気に入っている。コーヒーが好きとか、サービスとか人とかそういうものはむしろあまり好きじゃない部類のものなのだけれど、なぜか朝の気分にバシッとハマることがある。カプチーノ、聖子ちゃんはラテ。
ランチは、珍しく村上さんと同行。Aux Baccanalesで牛肉のトマト煮を食らう。欲望の資本主義を観た感想とGAFAの話、強い個として生きることについて。個人に人生の楽しみとか、喜びとかを見出すことが重要なのか
彼は、学校を卒業してから少しの間、警察官であった。その頃は、「警察だ!」「おい、警察!」と言われていた。村上でも、なんでもなく匿名の警察であった。と本人は言う。自己を認めて欲しい、自己を主張したいということから洋服の世界へ飛び込んだのだという。
なんだか、すごい素敵なストーリーだなと思った。彼の今の生きるスタイルとか、アウトフィットだったり、様々な行為に至るまで、すべての細部には「おい、警察!」が宿っているように思えた瞬間すべての彼の行為に真っ直ぐな軸が見えたように思う。

夜は、少し早めに家に帰る。朝、聖子ちゃんがマーケットで買ってきてくれたサラダとパン。これでいいんだけど、なんでこれが毎日食べられないのだろうか。マーケットがもっと近くにあればいいのにと思うが、日本ではなぜ成立しないのだろう。マーケットがスペシャルなものとして価値付けされる日本はちょっと不思議な気もする。それはカフェとかも同じ。
居酒屋とかコンビニとかばっかだからみんな気が引けるんだ。