TEXT / JUNIWASAKI

2019.5.1

世間は令和元年だと大騒ぎしていたけれど、不思議でならない。自分の人生何も変わらないし、ぼくにとっては平成から令和になったことよりも、2019年5月1日は彼女の31歳の誕生日であることの方が重要だった。
令和だから、自分の人生が好転するような気もしなければ、二重になって面長になるわけでも、背が10cmのびるわけでもない。
聖子ちゃんの誕生日に一緒に何かお祝い出来ないのは悲しいけれど、仲がいいし、すごく理想的な関係なのかなと思う。この一年が僕たちの将来にとって大きな意味を持つのだ。お互いがお互いの知らないこと、共有しきれない一年の記憶ほど美しいものはないのではないだろうか。
志賀理江子さんもヒューマンスプリングに向けてのインタビューの中で、
「社会のいろいろなことが複雑になっているので、他者とどう共有し、語れるかは、私にとって死活問題です。そんな中で、撮影行為とか作品とか、一見しただけではわからないものが中心にドンとあることが、簡単な言葉だけでやりとりするような次元ではないということを共有できると思うんです。そのわからなさを共有することは意外と大事な気がしているというか。」
そう話している。
なんだかすごく共感する部分で、僕たちの二人の生活の中で言葉で共有しきれないものを二人ともが各々の方法で紡ぎ、語ることがこれから先の人生において非常に大切だなと感じている。
違いが生まれるのは仕方ないし、価値観の変化や、様々なネガティヴな要素や衝突が生まれてくるのであろうが、それらは言葉ではない共有方法によってしか埋めることが出来ない。
ひとまず、遠くからだけれど誕生日おめでとう。いい一年になることを祈っています。

2019.4.29

昨晩、ContactでAwesome tapes from Africaで踊り狂ったので、朝は起きれず10時起床。渡邊さんとやありさんとランチの約束をしていたので、それから準備をして、掃除をして、13時に桜新町にあるインドカレー屋さん砂の岬で待ち合わせる。
ラッシーもつけて、2500円くらいのカレーを食い、その後用賀まで歩く。むすびガーデンに行こうとしたが、定休日でやっておらず。
用賀からバスで恵比寿へ。somewhere Tokyo。店主の方に、スタルクのコステスを倉庫から持ってきてもらっていたので観てみるが思ってた以上に簡易な雰囲気だったので、最初に思っていたようにペレガッリのポルトロノーナを購入。郵送しようかと思ったが、結局電車で持って帰る。
TOP Museumで志賀理江子『ヒューマンスプリング』鑑賞。代官山でコーヒーで一服。池尻大橋で渡邊さんやありさんと別れる、帰宅。
夜は、家に帰り、トマトソースを作る。

2019.4.21

7時過ぎに起床し、ラジオをInter FMに合わせ、お湯を沸かしコーヒーを淹れ、トーストを食らう。いつも通りの朝である。
10-DSM
どうやってこの状況を打開するかしか考えることが出来なくなっている。場所を変えること、それだけしか方法が見つからない。
そのためには何が必要なのかを時間を見つけながら考えるようにしているがなかなか難しいのが現状である。
とりあえず今の目標としてはロンドンに住むこと、働くこと。ロンドンに住むにはどうするか、
もっと英語力が必要になるだろう。コミュニケーションの英語ではなくて、プレゼンテーションとか、人に何かを一方的に伝えるという英語力。ぼくには絶対的に欠けている。
単純にその要素さえ、クリアすれば可能性は無限大に広がると思っている。
とにかくいまはそれしかない。

昨日、somewhere Tokyoに行った際に店主の方が面白い話をしていた。
こういった家具はなかなか売れない、と。どういうことかというと、日本人には洋服に大金を払う感覚が備わってはいるが、家具やアートワークにはお金を支払う感覚がないのだという。
ぼくも実際に感じていることの1つでかなり共感した。自分はそもそも大金を払う感覚がないもんだから、洋服だろうがアートワークだろうが、まだ慣れていないのだけれど。同時に食べ物や消えてしまうものにお金を使うことにもあまり慣れていないように思っている。オーガニックの浸透の遅さや、他のオルタナティブなものに対する価値観も同様である。感覚がないもんだから、お金はあるがそれが正当な価格なのかどうかを判断する基準がおかしいのである。
ぼくは、洋服に10万もかけるような人間ではないので、そういった洋服を買う人間の理解には苦しむが、椅子に1脚10万とか、アートワークに10万とかそういう感覚ならまだ理解出来る。
ぼくが本当に興味があることは、もしかするとそういう社会の変化かもしれない。気付きを与えたり、視野や世界を広くすること、それが一番やりたいことである。
お金の使用感覚も同様かもしれない。

2019.4.20

朝5時の始発で帰宅し、服だけ脱いでそのままベッドで寝る。
ビックリして起きたのが、11時半。仕事がなくてよかったとホッとした。それでも午前中にスガアートに行く予定をしていたので、急いで布団から出る。スガアートの菅原さんから留守電入っており、「準備出来ているからいつでもどうぞ」ということだった。一安心し、シャワーを浴びて、コーヒーを淹れ、トーストを焼く。
12時半頃家を出る。バスでスガアートへ。額装していただいたNatalie du pasquierのアートワークをピックアップし、談笑し帰宅。二子玉川でマキアートを飲む。
昨日、クラブで知り合った上海出身のwhiteちゃんという女の子が妙にカッコよかったのでまだ刺激を感じている。久しぶりにいい出会いだった。
黒髪のボブヘア、タイトなジャージ素材のトップスに黒の少しフレアがかったようなパンツ、salomonのスニーカー。90'sのGUCCIの黒いサングラスをかけて誰よりも高速で踊る、髪が揺れ体が揺れているのか、体が揺れているから髪が揺れているのか、さえも分からなくなるほどに、分からなくてもいいし、むしろそんなことがどうでもよくなる程に痛快だった。まわりの女の尻を追っているような男たちには見向きもせず、ただひたすらに彼女は踊っていた。
女の子としてかわいいから好きだったとか恋心を抱いたとか、そういうのではなく、とにかくただ一人の人間としてカッコ良さを感じ、スタイルがあることは強さだと思った。
一人で自分の好きなところへ行き、好きにする。
聖子ちゃんもそうだ。ロンドンに住みたいから一人でロンドンに行く、デンマークに住んでみたいからコペンハーゲンに住む。
ぼくはそういう人間がすごく好きなのだと思う。

2019.4.18

また寝起きに絶望感を味わう。
ここ最近、寝る前朝起きた時に、自分は何をしているのだと絶望的な気分になっている。自分が30歳になってこんなことをしているとは思ってもなかった。聖子ちゃんは、もう既に一人で動き出した。ロンドンへ飛び立ったし、彼女は一人で自分の選択をして、自分の人生を形作っている。ぼくは、時の流れに自分の身を任せているだけではないか。
こんなイメージを持っている。上から水が流れ込んでくる。その水をどこに流し込むかは自分で決める。下には沢山のコップがあって、どれに流し込むか、どのくらい流し込むかは自分の自由である。さらにその過程はもっと自由である。
例えるとこうだ。
装置があり、その装置は自由に組み立てられる。どんな風に形つくってもいい。だけれど何も作らなければ上からそのまま水は流れていく。そして、下にあるコップに水は溜まっていく。何もしなくても水は溜まるのだ。だけれど、装置をいじり、組み立てたり、少し取り除いたり、うまくコントロールし、どのくらいどこに貯めたいと思うか、それに合わせてどんな風に形作れば自分の思い通りになるかを考えてそれを自分で作らなければいけない。自分の力以外には何も変化を作ることは出来ないのである。
いま、ぼくは上から流れてくる水をそのまま下に垂れ流しているような人生だなと感じている。
運というのがある。「運」は、どのくらいの量の水が流れ込むかとか、既存の装置がすごくいい形をしているか、とかそういうことである。
ぼくは既存の装置も水の流れる量も多かった人間かもしれない。これからの人生、装置を新しく組み立てていくようなことが求められているように思えてならないのだ。

9時過ぎにフォートウエノへ行き写真をピックアップ。ニュージーランドで撮りためたフィルムでまだ現像できていなかった12本を現像することが出来た。
時間が思いのほかあったので、恵比寿駅前のカフェで一服。マキアート。改装で閉まってしまうらしい。8月に再オープン予定。
今日は朝から絶望的な気分になっていたので、ぼくはどんな風に生きたいか考えた。
too much magazineに出てくる、Sam Chermayeff & Jack Hoganがいつも頭に出てくる。それから、ジム・ジャームッシュのPermanent Vacationのアリー(クリス・パーカー)。村上春樹の小説に出てくる主人公。
彼らから感じる簡素さ、必要なものを持ち合わせているだけの潔さ。そんなことがぼくには心地よい。
聡明であること、熱心であること、自分に正直であること。
そう考えていると、聖子ちゃんはロンドンに住んでいるんだからぼくも彼女の生活に負けないようにしっかりとかっこよく生きたいと思った。マキアートを飲みながらそう感じていた。俗っぽいことは嫌いである、人がしない、してない生活を僕たちはしたいんだ、と二人で言っている。
11.30からDSM
夜は、21時半に終わり、23時前に帰宅。聖子ちゃんと電話して、ロンドンの楽しそうな話を聞く。刺激的な日だったようで嬉しい。
卵黄とパルミジャーノのパスタを食らい、就寝。

2019.4.17

朝から絶望的な気分になる。一人でここに住んでいるが、何のために一人でこうやって暮らしているのか。
9:45からDSM、今日は棚卸し。

2019.4.15

7時半過ぎに目覚める。ラジオのスイッチを入れ、Inter FM89.7に合わせる。
8時過ぎ、久しぶりに砧公園をランニング、7.5km。
公園を走るのはなかなかきつい。どこかに向かって走るのと、同じ場所をずっとグルグルとするのでは明らかに疲労感が違う。疲労感の感じ方が違うと言うべきだろうか。
時間がないと5周は走れないなと改めて思う。今日は3周で切り上げる。少し走る頻度が減っているせいで、身体が鈍っているように思う。また、徐々に戻していかないと、毎日走る身体になっていかない。
11.30-DSM
昼は、同僚の伊藤さんと歌舞伎そば。その後、Appleに立ち寄り、イヤホンの返品が可能か確認。開封前でレシートがあれば問題ないということだった。emailでのレシートなのでレシートをなくす心配もなく快適である。以前に、Palaceでレシートをなくして不良品を交換できなかった過去があるので、出来るだけレシートをもらい、保管するようになった。
イヤホンを返品するのは、聖子ちゃんがイヤホンを見つけたからなんだけれど、以前なら、たった3000円くらいでめんどくさがって返品もしていなかったかもしれない。めんどくさいことはしたくないので、いつも避けてきた。
こうやって金額が多少でも返品しようとするなんて大人になったなと改めて思う。ものを無駄にしたくないという気持ちが一番多い。出来るだけ、無駄なものを持ちたくない。小さなものでも同じである。使えないもの、使わなくなったものは潔く破棄する。
夕方、Rose Bakeryで一服。リコッタチーズケーキとエスプレッソ。
仕事がなかなか進まず、困っている。やらなければいけないことあるのに頭が回らないので進められない。2Fに異動してら疲労感がすごい。
夜は、ミルクティーを淹れ、湯船に浸かり、そのまま何もせずに就寝。聖子ちゃんは明日Londonに出発する。少しドキドキしている。